2005年12月22日

信じる心と疑う心。

ご無沙汰です。サボっていた訳ではありませんよ。書く事が無かった訳でもありません。


これを読んでくださっている人に質問です。
あ、もちろん私に言わなくても、答えは自分の中で見付けて下さい。


「あなたは人を信じる事と疑う事、どっちが簡単だと思いますか」


実際、こんな事って比べてはいけないですよね。わかってます。答なんてないのかもしれない。でも私は人を信じる事で生きてこれた気がするんです。
そういう自信が今の私を造り、生かしている。疑う事を知らないって訳じゃないけど、疑う理由がまずない。
もし、私が疑う事をして生きてきたとしたら、今の私の性格は生まれなかった。
人生をやり直すことができたとしても、私はやっぱり人を信じて生きていくんだと思う。
どんな事があろうと、心の底から好きな人の言葉を信じていくんだと思う。今は愛しい人がいないから何とも言えないけど、これから先現れたら私はその人を信じると思う。

人生ってリセットがきかないけど、もしリセットできるとしたら貴方は今と違う人生を歩んでいると思いますか?私は「あの時こうすれば良かった」と思う時もあるけど、やっぱり今と同じ人生を歩んで行くと思う。選択も全部今と変わらないと思う。
けど、人ってそんなもんなんじゃないかな。

私はきっと、あと何回人生をやり直せたとしても、今までと同じ人達を信じて生きていくと思う。



一番最初にした質問、あれに特に意味はないです。いや、あるかも。
私の中でうずめいているものがあるとすれば、それは「人を疑いたい」っていう気持ちだと思う。疑いたいけど、疑えない。そんな心境です。心のそこで「夢と現実が違う」という事を理解しているような、そんな複雑な気持ち。上手く説明できたかな?
つまり、いつも人を信じるけど心の底では「でもきっと嘘なのかな?」って思っている、のだよ。きっとね。いや、たぶん。






…そう考えると私は常日頃から人を疑って生きてきたのかもしれない。






いつも「すぐ騙されるの!」とか「すぐ信じちゃう!」って言ってる人ほど人を疑うのが上手いのかもしれない。




相変わらず日本語に弱いから、表現力とかなくてごめんなさい。これでも精一杯の文章です。



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この記事へのコメント
う~ん、やっぱり信じることの方が難しいでしょうか。
もう打算や悪意をアカラサマにやり取りする社会に生きていますから。

あ、こんなことを書くことが目的ではありませんでした。
Christmasのごあいさつです。来年も楽しみにしております。
Posted by 毛布 at 2005年12月23日 01:00
メーリー クリスマスッ!こんばんは。(酔っ払ってないよ ^ー^;)

いろいろと書こうと思ってたけど、、、
スケートの浅田真央ちゃんの演技をTVで見て、
やっぱり若さに勝るものはない!と思いました。

ので、若い春菜さんの「信じる」に一票。

年齢や経験を重ねても、何かを疑った時点で歩みはストップしちゃうから

今を信じるしかないんだよね。
Posted by uramaya at 2005年12月25日 20:08
お返事遅くなってすいません、多忙で…笑いつもコメント有難うございます。すごい嬉しいです☆

毛布さん>>そうですね~。悪い事をするといつか処罰を受けるのに…。人間って愚かですね。笑

uramayaさん>>私はそんなに若くないですよ!笑「何かを疑った時点で歩みはストップ」って言葉、何か心に沁みました。何があっても今を信じるしかないんですかね…
Posted by 春菜 at 2005年12月26日 20:13
始めまして、春菜さん!

マイルといいます、ん~そうですね、私なら疑わずその方を信じます!
人との付き合いで もし疑う要素があれば、まず自分自身の何が
いけなかったかのか 自問自答を繰り返し考え、?になる部分を
疑う要素に対し 真正面からその方に問います。

お互い いい面を尊重し合い、疑いのある悪い面をお互いが
理解し、納得出来るまで話し合いをしますれば 歩む道は真直ぐ
歩けますからね、歩く道はいくつも 枝分かれがありますよね、
その道を二人で手を取り 同じ道を歩けば 良しも悪しも
お互いの幸せであり、お互いの反省課題と お互いの
存在価値観と考えております。

良い、悪いは人それぞれの感性で 異なりますので
難しい事ですが、その人と一生歩むべき道を 手を取り歩き
続けるのが、私の理想としております。
Posted by マイル at 2005年12月29日 10:26
どうも初めまして。こういうコト考えるの好きなんでコメント残しちゃいます。

信じるコトと疑うコトどっちが簡単か?って質問ですけど、どっちも難しいと思いますよ。
信じるとか、疑うって言うのは意識的にやるわけじゃなくて、無意識的にやることだと思うんで、どっちが難しいかって質問は適切じゃないかと思われ。

と、言ってはみたものの、よくよく考えてみると、頭の中で葛藤って言うものが起こった時点で結論がたとえ「信じる」方向に動いたとしても、結局は疑うが故に葛藤が起きるわけで・・・・
だから、意識的な「疑う」は疑うコトなんだけど、
意識的な「信じる」って言うのは結局疑ってるんだと思う。

簡単か?難しいか?ではなくて、どっちの方が多いかって言うとやっぱり疑う心の方が多いと思います。

疑ってばっかりな世の中だからこそ、心から信じることが出来る相手が見つかったらやっぱりうれしいわけで。
って私は思うかなぁ。

でも恋人何かだと、信じてばっかりじゃあ面白くないし、疑ってばっかりでも、疲れちゃうし・・・・
友達相手だと、疑うとかそういうコトってあんまり考えないけど、何でか恋人相手だと疑っちゃうトコもあったりなかったり・・・・
相手を愛してるからなんだと思うけどね。ああー、よく分からない自分(笑)

こんな文章でも理解してくれたら「あーあー」で、理解出来なかったら流してください(笑
Posted by 通りすがり at 2006年01月05日 17:43
コメント遅くなってすいません。

マイルさん:初めまして!歩む道は枝別れですね、1人で歩いていた時はその別れ道を自分自身で選択しないといけない、その先に誰かが待っているかもしれない。そんな感じですかね??でも一緒に手をとりあって歩く人なら出来る限り信じて歩きたいですね☆

通りすがりさん:コメントありがとうございます!疑う方が多いんですかね…、確かに「信じる」っていうのは結局疑っているのかもしれません…。なんだか切なくなります…。信じているつもりだけど、片隅では疑っているのですかね…。でも私は自分の恋人は信じたいと思います。どんな結果になろうと、私は恋人を信じたいですね。
Posted by 春菜 at 2006年01月11日 19:44
やっと出ましたね春菜さん!

疑うのは自分に自信が無いか 若しくは自分に
やましい事があるから 相手を疑いたくなるんじゃないだろうか!
お互い信じあえるからこそ 手を取り合い
危険な道や山を 支えながら歩けるじゃない!

自分に自信を持って 信じれば
疑う要素なんて ちっちゃな事ですよ!
Posted by マイル at 2006年01月11日 20:11
マイルさんへ

はい、かなりお待たせ致しました…。ワラすいません汗

その通りだと思います。きっと私が好きな人を疑う時っていうのは、自分に自信が無いときだと思います。やましい過去があるから相手を疑うんだと思います。
握ったてを離さない様に必死になりたいです。それってもしかしたら見苦しいですかね??

とりあえず、自分に自信が持てるように私は努力しようと思います☆
Posted by 春菜 at 2006年01月13日 07:37
自分を信じて 好きな人の手を離さない様に必死に
しがみつく事は 見苦しい事はないです!
逆に普通の人に出来ない 事ですから必死になって下さい。

春菜さんの背中に 後ろ指を差す人が居ても
それはそれでいいんじゃないですか、その人は
しがみつく勇気が 無い方ですから後ろ指を 差すだろうから、

取り合えずなんて言わず 自信を持ち必死になって自分自身
の幸せを 掴み取って下さい。

くれぐれも あまり雁字搦めにならず、好きな方を
縛り付けないでね!
Posted by マイル at 2006年01月14日 09:46
いつもコメントありがとうございます♪

そうですね、なんだかマイルさんの前向きなコメントを見ていると、自分もいつもより前向きになれます!
はい、取り合えずだなんて言わずに自分に自信を持とうと思います!自分にある良い所を探そうと思います☆
Posted by 春菜 at 2006年01月16日 22:51
「疑うこと」「信じること」
どちらかが欠けたらどちらも成り立たない言葉だと思うな。

私は信じ続けるために定期的に相手を疑います。

「私の事好き?」って。

でも、そんな事しなくったって信じ続けられる相手だったら、不安要素を作らない相手だったら…いいのかな?
これは恋人に限らず、友達にも言えることだけど、疑うことがなくなったら、信じることもなくなっちゃうんじゃないかなぁ…


うーん 難しい。
春菜はいつも哲学的な事考えてるよね。

あっ、今ふと思ったけど、「なんで?」って口癖も信じる要素が欲しいから質問するんじゃない?信じようとする春菜の志が好きだなぁ。

なんか本文のレスポンスになってないね。汗
Posted by dry wood at 2006年01月26日 15:46
dry Woodさん

ありがとう。哲学的な事かぁ~、よく言われるワラ
dry woodが誰だかわかったような気がする。とかいって、全然見知らぬ人だったら笑っちゃうけど(笑)

不安要素って、例えばどんな事を言うんだろう…。

私の「なんで?」にも、そんな意味があるのかもしれないね。
ありがとう。
Posted by 春菜 at 2006年01月27日 09:03
疑う心かな。でも、信じる心は持ちたい。難しくても。
Posted by 鈴木 at 2008年04月08日 03:35
はじめまして。
信じる心、疑う心、まさに自分のテーマです。

自分は愛する人をガンで亡くしました。
彼女とは5年つき合い、そろそろ結婚かという感じの時に
ガンが発覚しました。
ガンはスキルス胃ガンといい、発見したときは手遅れの場合が多く、
例にもれず彼女も手遅れでした。

闘病の一年間は毎日仕事が終わったあと、病院にタクシーで直行。
日に日に弱っていく彼女の手をただただ握る続ける日々でした。
最後の日に彼女のご両親からは、オマエのせいで病気になったと言われ、
顔も見たくないと告げられ、お葬式には途中でもう帰ってくれと言われたりもしました。

自分は万物の流れ、言ってしまえば神様というものが信じられません。
なぜ彼女を病気にする必要があったのか分かりません。
偶然としか言えないと思います。

また、彼女にもっと良くしてあげたかったとの、後悔の念と自責にかられます。
そんな心から自尊心を無くし、何も信じる事が出来なくなってきました。
信じるのは現実のみ。真実と事実の違いを身につけるべきで、
事実は真実より優れた物の見方だと思っていました。
しかし、そんな考えで生活してきたら、「キミは何も信じないね」と
一回りも年齢の若い子に言われました。
「人や世の中の事疑ってばかりいるね」とも。
ハっとしました。
自分はいつのまにか、ギスギスした事実しか見ない
利己的な人間になっているのではないのかと思いました。

神様は事実として居ようが居なかろうが、神様を信じる強さが無ければ、
自分自身がもっともっと不幸になるような気がしました。

長文申し訳ございません。

こんなに書いた癖に、まだまだ答えが定まりません。
Posted by sunsun at 2008年05月05日 20:48